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フィリピン国際交流団体AYJの情報を発信していきます
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2024/11/23 (Sat)
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2009/07/11 (Sat)

91cc9021.jpeg商品開発とスタディツアーでのAKへのプレゼントのためにヘンプ製品を作ってます★
今日は共同事業班はゆうこ宅で合宿です!
メンバーはやたちゃん、ゆうちゃん、たけじ、ゆうこです。
後からともよちゃんが来る予定。
実況中継します!

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2008/10/15 (Wed)
こんにちわ。更新が空いてしまってごめんなさい!
長かったツアーも帰国日を除いてついに最終日となりました。
トリはフィリピンにおける貧困を象徴するよな場所、
ニュースモーキーマウンテンです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


●9日目~ニュースモーキーマウンテン~●


バスを降り立った瞬間の、強烈な悪臭。
ヘドロと生ゴミとメタンガスが混ざったような。

皆の口数が一気に少なくなる。

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ツアー最終日、私たちはフィリピンのごみ山のひとつである
ニュースモーキーマウンテン(以下NSM)を訪れました。

訪問前に代表のN君が注意したこと

「どんなに臭いがひどくても、決して顔をしかめないこと」

その時は簡単に思えていたことでも、
いざ現地に着くと平気な顔をするのでいっぱいいっぱいです。

前日の雨のせいで地面はぬかるみ
照りつける太陽のせいで湿気がひどく臭気も強い。


案内されたのは小さなデイケア・センターです。

NSMに住む人々の生活改善と子どもたちへの教育の提供を
中心に活動する団体のメンバーであるハナさんに
ここでの生活の現状と様々な問題についてうかがいました。


NSMをはじめとするごみ山に住む人々の多くが
ODA開発による強制退去や多国籍企業の工場移転によって土地を追われ
生きる糧を奪われた人々であるということ

ゴミを拾って売ったり、小さなサリサリストア(売店)を経営したり、
炭を焼いたり、そうやって得られる収入は、
一日たったの50~150ペソ(108円~325円)だということ

子どもたちの70%が学校へ行けず、将来の見通しがたたないでいること

汚染された水、空気、土の中で暮らすことによって、喘息や皮膚病
寄生虫、下痢など、さまざまな健康被害が広がっていること・・・・・・・


貧困は相対化できる問題ではないし、どっちの方がより貧しいとか
そういう議論はナンセンスだと思うけれど、NSMの現状を聞くと
やっぱり「貧困層の最底辺」という言葉を思い浮かべます。

けれど、そんなひどい状況のなかで印象に残ったのが、
デイケアセンターで勉強している子どもたちのエネルギーでした。

10日間のツアーを通して、AKCDFの子どもたちや
イーストリバーサイドの子どもたち、ストリートチルドレンなど
数えきれない子どもたちと触れあう機会がありました。

その中でも、NSMの子どもたちのワイルドさはすごい。

じゃれあうなんてレベルではありません。
そんな認識で子どもたちの相手をすると、
子どもたちに文字通り、倒されます。

それくらい本気でぶつかってくるのです。
貧困の中で生きる子どもたちのたくましさを感じました。



デイケアセンターは2年前に建てられたもの。
私が前回訪問した時は、まだ計画途中でした。

資金難や人手不足で、実現にはもっと時間がかかるだろうと
思っていたのですが、今ではしっかりと地域に根ざした活動が、
デイケアセンターから広がっています。


さまざまな場所を訪れ、そのたびに自分に何ができるのだろうと、
無力感に襲われたり自己嫌悪に陥ったり、揺れ動きながら過ごした10日間。

日本に帰ってきて、フィリピンで見たものと自分の生活とのギャップに
心が苦しくなる時もあります。

でも、私たちが向き合うべきものはきっと、
こんなフィリピンの人たちの強さ、たくましさなのだろうと思います。


どんなに過酷な暮らしの中でも、希望を持って活動している人たちがいる。
彼らとの出会いが、日本で最初の小さな小さな一歩を踏み出す
きっかけになるかもしれません。

大きな宿題と、かすかな希望を私たちに託して、
08年度フィリピンスタディツアーは幕を閉じました。


そしてこれから、フィリピンで背負ったものに向き合う日々が始まります。
ツアーの終わりは、ゴールではなくてスタートなのです。


おわり



ツアーのことがもっともっとわかる!
08年度フィリピンスタディツアー報告会&報告展を行います。

11月2日、3日
龍谷大学 スタディツアー報告パネル&写真展

11月15日、16日
立命館大学 スタディツアー報告会・報告パネル&写真展


詳しい内容、時間・場所等は、後日ブログで連絡します。
ツアー参加者の生の声、さらに
詳しいデータに基づいた発表が聞けるチャンスです。
ぜひご参加くださいね☆


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

KABATAAN・AKCDF・イーストリバーサイドについては
AYJのHPを参照してください。

2008/10/07 (Tue)
ツアー報告も終わりに近づいてきました。あと2日!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


●8日目~スービック~●


ツアーも佳境っていうか残すところあと2日となったこの日、
なぜか今さら休みということでスービックというプチリゾート地へ行ってきました。

車に揺られること4,5時間。

リゾート地へ近づくにつれ普通は周りがにぎやかになってくるものですが、
スービックはなんだか閑散としています。

つっこみどころ満載のこのツアーですから、
はじめからセブ島のゴージャスビーチみたいなのがあるとは思っていませんが、
それにしても、何かさびれた印象を受けます。
大丈夫かスービック。


スービックはその昔、米軍の駐留地だったそうです。
ベトナム戦争のころには、
スービックのジャングルで対ゲリラ訓練も行われたとか。
やったらめったら広い場所です。

そして同行していたAKCDFの代表ポール氏が
窓の外に見える軍用倉庫の跡地を教えてくれます。

「ほら。あそこにもあるよ!」


……なんだかまったくテンションが上がりません。




道中、スービックで何をするか、選択肢がポールさんから提案されました。
曰く、釣り、サファリパーク、プール、ビーチの中から2つ選べるとのこと。

ここで突然ポールさんが、サファリパークを大プッシュし始めます。


「いいかい、釣りとサファリか。または、プールとサファリか。

それともビーチとサファリか。さあ決めておくれ!」


なぜかサファリに行く前提です。なぜ。

ここまで来て50メートルプールに行ってどうするんだ、ということで
まずプールが却下されました。

そして、ビーチに行きたい!という女子からの意見と
釣りがしたい!という男子からの意見で、

あっさりとサファリも却下。

ポールさんごめんなさい。


そんなこんなで到着したスービックビーチは、
青い水の下を極彩色の魚の群れが泳ぐ、
予想以上の美しさでした。

ゴージャスビーチにテンションだだあがりの面々をあとに、
ビーチより釣りだ!!と意気込む野郎どもは
再びバスに乗り込み釣り場を目指します。

ところが、着いてみると釣り場は閉業。つぶれていました。
ほんとに大丈夫かスービック。
仕方がないのでサファリパークへ行くことになりました。
もうポールさんのテンションの上がりようといったら半端ありません。
サファリパークの内容は、といえば、さすがフィリピン仕様。
・お腹を空かせたトラたちが本気で車に襲いかかってくるジープツアー。
・なぜか地味なネズミ類がやたらとプッシュされている動物園。
・ショーを終えて腰ミノから普通の私服に着替えて
談笑するフィリピンの先住民アエタ族。
(ちなみにポールさんはアエタ族の人々と名刺交換をし、連帯していました)
などなど突っ込みどころ満載でした。
 
その後、ビーチ組もサファリ組も思いっきり遊んだあと、
合流してジョリビーで晩御飯を食べ帰途につきました。
 
そして満天の星空の下、マニラへ向かうバスの中では
怪談大会が開催されました。
代表がいらぬところで本気を出し、
マイクまで引っ張り出して語った怪談が圧巻。
本気で怖かったです。


なにはともあれ、時にはこういう日も 良いでしょう。
羽を伸ばした一日でした。

明日はついにツアー最終日。
フィリピンの最貧困層が生活する
ニュースモーキーマウンテンに向かいます。

 
 ★☆★つづく★☆★

 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

KABATAAN・AKCDF・イーストリバーサイド
については
AYJのHPを参照してください。
 
フィリピンのこと、ツアーのことがもっともっとわかる!
スタディツアー報告会は11月16日@立命館大学で行います。

詳しくは後日ブログで連絡します。
興味のある方はぜひご参加ください!!
 
 
2008/10/02 (Thu)
ツアー7日目の報告です!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

7日目~ODA開発地区・サンタクララ~●
 
スタディツアーも佳境に入った7日目。
日本のODA(政府開発援助)によって開発がおこなわれている
サンタクララ地区を訪れました。
 
1984年に始まったサンタクララ・バタンガス港開発計画。
地域の人々の生活基盤であった小さな漁港を、
貿易などに利用できる国際港にしようという計画です。
 
それに対して港周辺に住んでいた人々は抵抗運動を始めました。
十分な補償もないまま、土地を奪われ、
生きていく糧である漁業も出来なくなるからです。
 
80年代後半から90年代にかけての
度重なる強制退去命令によって土地が奪われた後も、
彼らは闘い続けています。
 
今回話を聞かせてくれたのは、抵抗運動のリーダーのひとり、カテルマさん。
話の長いおばちゃんです。
 

闘いの場は現地での抵抗運動から法廷へと場所を移しました。

(今でも少数の活動家がバタンガス港に抵抗キャンプを張って
開発反対運動を続けています。今回は安全性が確保できないということで
見に行くことが出来ませんでしたが。それほどに緊張関係にある場所なのです)
 
裁判の詳しい中身については割愛させてもらいますが、
強制移住によって散り散りに分断されたサンタクララ住民の中で、
それでも現在448名もの人々が原告団に名を連ねているそうです。
 
 
カテルマさんの話を聞いたあと、実際に強制移住させられた人々が住む
スラム地区を視察しました。
そこで出会った一人の女の子の体験談が衝撃的なものでした。
 


マリネル、18歳。

優しい目をしたきれいな女の子。

長い髪を後ろで束ね、薄いノースリーブと短パン姿で椅子に腰かけている。
彼女の足元で、ようやく歩けるようになったばかりの
小さな小さな男の子がじゃれている。
 
強制移住に伴い仕事を失ってしまった母親は、
いま薬物売買の濡れ衣を着せられて刑務所にいるという。

彼女がひとりで幼い兄弟たちを養っているのだ。
 
彼女の仕事は売春。

たった450ペソ、日本円にして1000円たらずで体を売り、
極貧の中で生きぬいている。
 
足元にいる小さな男の子は彼女の子どもだという。
 
「ミルクがなくて砂糖水しか飲ませることができない」
 
淡々と喋っていた彼女の顔が、男の子の話をする時さっと曇った。
 
 
 
「四方を石の壁で覆われた真っ暗な部屋で、
上から照らされたスポットライトの中、
マリネルがぽつんと座っているように見えた」
 
その日の夜、ひとりの参加者がその時のイメージをそう表現しました。
 
彼女を覆っている圧迫感、絶望感が伝わってくる言葉。
 
「自分に何ができるのか」
「伝えることでどうにかなる問題じゃない」
「自分が恥ずかしかった」
「どうしてもっと政治に関心を持たなかったんだろう」
 
感想会では、いつにもまして切ない言葉が飛び交いました。
 
その国の発展のためと称されるODA。
けれど現場にはマリネルのような状況で暮らしている人がたくさんいます。
 
ほんとうの発展ってなんなのか。
その場に生きる人々の生活すらも守れない途上国支援ってなんなのか。

そして、私たちにはいったい何ができるだろう。
 

重い重い問いを投げかけた訪問となりました。



★☆★つづく★☆★

 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

KABATAAN・AKCDF・イーストリバーサイド
については
AYJのHPを参照してください。
 
フィリピンのこと、ツアーのことがもっともっとわかる!
スタディツアー報告会は11月16日@立命館大学で行います。

詳しくは後日ブログで連絡します。
興味のある方はぜひご参加ください!!
 
2008/10/01 (Wed)
どうも。ツアー報告、続いて6日目です♪


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●6日目~フィリピン・日本 若者ピースフォーラム~●

従来のツアーで行っていたKABATAANとのワークショップを発展させ
今年はフィリピンの他の若者組織も招いてのフォーラムを開きました。

当日、AKCDFの教室兼多目的ホールにはステージと巨大なスクリーンが。

日本からは私たちツアー参加者が

フィリピンからは、イーストリバーサイドを中心としたスラムコミュニティ、
全国大学自治組織、そして教会のユース支部からそれぞれ若者が集い、

日本とフィリピンの教育と雇用の問題点についてプレゼン発表をしました。


ことの大きさに日本人みんな若干おじけづきながらも
前日まで準備を進めてきた、
ワーキングプアについて&ゆとり教育について
のプレゼンを行いました。

ワーキングプアのプレゼンについては、
もちろんイーストリバーサイド出身の子たちの前でのこと。

当然、「それでも日本はまだましだ」という反応も返ってきます。

ランチ休憩のときみんなフィリピンの子たちから
色々意見をぶつけられていましたね。

てゆうかゆとり教育のプレゼン後、

「で、結局ユトリってなに?」

と聞かれましたね。一番肝心な点が伝わってません!!汗


フィリピン側からは、大学自治組織の代表の男の子が
とてもシャープな内容のプレゼンを行いました。

フィリピンで小学校を卒業できるのは全体のたった66%

大学を出る確率なんてもっともっと低くなる。
そしてたとえ大学を卒業できても、安定した職に就けるとは限らない

その中で今、専門的なスキルを身につける
看護師やPC関連の職業訓練校がシェアを伸ばしている。
高額な学費にもかかわらず人気は高い。

けれどそれは結局、仕事を見つけるための勉強だ。

本来なら、芸術や哲学など、
その人の人間性の根幹を形作るような学問に
時間を費やすことができるのが大学時代であるはずなのに、
その空間が企業倫理、市場原理によって支配されている。

まるで日本の現状を聞いているような錯覚に陥りました。

フィリピンと日本。程度は違えど、抱えている問題の根本は共通している。
だからこそ私たちは、一方的な支援じゃなくて
一緒にお互いの国の状況をより良くしていくような活動を
もっともっと大きくしていかなければいけない。

AKCDFの代表、ポールさんがフォーラム中ずっと言っていたことです。

その後のワークショップはなにかとぐだぐだしてしまいました。

飛び交うタガログ語、議論になかなか入れない日本人多数、
おかまいなく地域のスポーツ大会という超個人的な議題について
話し合いだすフィリピン人たち。

なぜかホール後方では記念写真撮影大会が始まってたり。

全体的にゆるさ満開のフォーラムでしたが(来年は改善します!)
得るものも多かった企画でした。


★☆★つづく★☆★

 
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KABATAAN・AKCDF・イーストリバーサイド
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詳しくは後日ブログで連絡します。
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プロフィール
HN:
AKAY Youth Japan
性別:
非公開
自己紹介:
AKAY Youth Japanはフィリピンマニラにある貧困層のための教育施設A.K.C.D.Fを支援するNGO団体です。
若者を主体に関西を中心に活動しています。
主な活動は3つです。
・フィリピンスタディーツアー
・チャリティーイベント「HALO☆HALO」
・フィリピン、マニラのスラムで暮らす若者との共同事業
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